キム ジンヒョン
21
GK

KIM Jin Hyeon

キム ジンヒョン
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  • 年齢37
  • リーグ戦
    総出場試合数
    524

PROFILE
プロフィール

  • 名前キム ジンヒョン(キム ジンヒョン)
  • 生年月日1987/07/06(37歳)
  • 出身地大韓民国
  • 身長/体重192cm / 82kg
  • ポジションGK

PLAYER'S HISTORY
インタビュー

-幼少期-

本格的にサッカーを始めたのはクラブチームに入った小5です。それまでも野球やバスケ、色々なスポーツをするのが好きだったのですが、それは両親の影響かも知れません。父は高校までバスケ、母も中学までバレーボールをやっていました。どちらも背は高いです。姉も中学までハンドボールをやっていました。母の妹の旦那さんはハンドボールで韓国代表になり、オリンピックでメダルも取りました。僕にもスポーツの血が流れているのかも知れません(笑)。最終的にサッカーに決めたのは、サッカーが一番、勝ったら嬉しくて、負けたら悔しかったからです。遊びでサッカーをやっていた時のポジションはフィールドプレーヤーでした。点も取っていたし、結構上手かったですよ(笑)。GKを始めたのは、クラブチームに入る前です。地域の学校対抗サッカー大会で、身長も大きかったからか、GKをすることになりました。その大会でのプレーを見たクラブチームの監督から「本格的にGKをやらないか」と誘われました。クラブチームでもフィールドプレーヤーをやりたかったのですが、監督に言われたら、GKをやるしかありません(苦笑)。


-中学~大学-

中学での部活の思い出は辛かったことばかりです。中学3年間はサッカーを楽しいと思ったことがなく、サッカー人生で一番、苦しかった時期です。練習もキツく、寮生活での上下関係も厳しかった。早朝、午後、夜と毎日3部練で、早朝は山を走ってから、朝ご飯を食べる日々。試合の結果が良くなかったら、1日中、山を走っていたこともありました(苦笑)。中2になって試合に出るようになったのですが、レベルとしては高い学校ではなかったです。3年になる前に転校したのですが、転校先の学校は強く、全国大会でも優勝しました。高校はソウルにある高校に行ったのですが、中学での僕のプレーを見た監督が誘ってくれました。この時の監督が一番の恩師です。指導は厳しかったです。中学時代と同じで、最初はサッカーを楽しめませんでした。高校でも3部練で、試合で勝っても失点したら、走らされました。ただ、その中でも監督は自分に期待をかけてくれていたので、高3になった頃はサッカーが楽しくなっていきました。3年の時に出場した大会は全て結果を残せました。ソウルの大会は全部優勝で、全国大会でも、ほぼベスト4か優勝。この世代は学校の中で、今でも有名です。中学時代に比べると楽しくなってきたサッカーですが、実は高2の最初の頃、3年生の先輩が厳しくて、サッカーを辞めたくなったことがありました。寮生活を送っていたのですが、ある日、平日に家へ帰ったら「何でいるの?」と母に聞かれて、「サッカー辞めるわ」と言いました。そうしたら、めっちゃ怒られて…。監督は「考える時間を与えたほうがいい」と、そっとしておいてくれたのですが、家にいたら毎日、母と喧嘩になるから、外に出ました。でも行くところがないので母の妹の家に行きました。1週間くらい、いさせてもらいました。サッカーに戻ったきっかけは、何もやることがなかったからです(苦笑)。母の妹の家にいた時、子どもたちと近くのグラウンドでボールを蹴りながら色々考えました。「今から勉強できるかな?」、「親にも申し訳ないな」とか。「やっぱりサッカーしかない」と思い直して、チームに戻りました。戻った時、監督やコーチに何か厳しく言われることはなかったです。それ以降、サッカーを辞めたいと思ったことは一度もありません。そうしたこともありながら、高2の秋、急に自信が付き始めました。GKとしてパワーも技術も成長しているのが目に見えて分かり、その頃からサッカーが楽しくなりました。誰にも負けない自信が出てきました。プロを目指したのもその頃です。3年になって、初めて年代別代表にも入ることができました。U-20W杯につながるチームでした。ただ、その代表には、ジュニアユース世代からずっと入っていた選手もいたので、いきなり入った僕は信頼されず、試合には出られなかった。悔しかったです。「今は誰にも負けない」と思っていたのに、「何で使われないんだ」と不満を顔にも出してしまいました。この経験が僕のサッカー人生の一番のターニングポイントです。そこから、より練習にも打ち込むようになりました。高校時代は濃い3年だったと今でも思います。高校卒業時にプロからオファーもあり、自分は行きたかったのですが、母に「大学に行きなさい」と言われました。大学時代は1年から試合に出て、2年の時、U-20W杯にも出場してグループリーグの全試合に出ました。ただ、僕にとって初めての国際大会で、緊張して何もできませんでした。(アレシャンドレ)パト、ジョーなどがいたU-20ブラジル代表とも対戦したのですが、3点を奪われました。2点を返したのですが、緊張して足が動かない感覚は初めてでした。その後、大学3年の秋に練習生としてセレッソ大阪に行くことになりました。


-プロ以降-

大学を出た後はKリーグのクラブに入ることがほぼ決まっていたので、代理人からJリーグへの練習参加を勧められてビックリしました。日本でプレーすることは考えてもいませんでした。最初は練習参加するだけだと思っていたので、まさかそのまま入ることになるとは(笑)。5日間の内、1日が練習試合でした。大学との試合だったのですが、セレッソ側として出た前半、ボールがほとんど飛んで来なかった。レヴィー(クルピ元監督)が後半は大学側のGKに入れるように頼んで、後半はセレッソ相手にゴールを守りました。それが自分にとっての試験みたいなものでした。45分を無失点で抑えて、契約を勝ち取りました(笑)。まさかJリーグでプレーすることになるとは思ってもいなかったですが、代理人から「韓国人のGKで、Jリーグでプレーしている選手はいない」と聞かされて、初めてが自分だということも嬉しくなりました。練習参加中にスタジアムで試合を見たのですが、観客も多く、「いい環境だな」と思いました。チームもいい印象でした。セレッソでの1年目は、最初は言葉も分からず、寂しかったです。練習場、寮で食事、自分の部屋、練習場…。半年間、その繰り返しでした。部屋ではずっと、日本語の勉強をしていました。1週間に2回、家庭教師とも勉強していました。少しずつ日本語を覚えてきた時、高3だった永井龍と扇原貴宏と遊ぶようになって、どんどん喋れるようになりました。あの2人には今でも感謝しています。当時は分からない言葉があれば、みんなにメモ帳に書いてもらって、覚えて使うことを繰り返していました。当時、スマホはなかったので、一つ一つ辞書で調べていました。練習以外は常にメモ帳とボールペンを持ち歩いていましたね。言葉は使った方が覚えるのが早いので、知らない言葉に出会ったら、すぐに使っていました。「間違えたらどうしよう」という恥ずかしさもありながら(笑)。でも、とにかく早く覚えないとコミュニケーションが取れない。代理人からも、「言葉を話せるようになると、クラブもいいように思ってくれる。喋れないと契約更新は難しいから勉強しておきなさい」と言われていたので、「言葉を覚えないとセレッソに残れない」と思って必死でした。分かってくると、日本語の勉強も楽しくなって、あっという間に1年が過ぎました。チームもJ1に昇格できて、09年の最後は幸せな時間でした。

 

J1で戦った10年は、チームとしてはいい結果が出たのですが、自分はケガで出られない時期もあり、悔しさもありました。11年、12年は成長が止まっている感じがして、「このままでいいのか」という思いもありました。1回、外に出たい気持ちもあったのですが、セレッソは僕をJリーグに入れてくれたクラブ。何も恩返しせず出ていくことは自分の中で納得できなかった。13年は、自分としてもチームとしても、いいシーズンを送れました。14年にJ2降格した時は、責任を感じました。15年は途中で鎖骨を折って、チームもJ1に昇格できませんでした。ただ、この年は1月に行われたアジアカップで活躍できて、韓国代表としてポジションを取れるチャンスでした。16年が大事で、この年をいいシーズンにしないと代表のレギュラーは掴めない。自分にとって大きな1年になると思ったので、J1でプレーしたい気持ちもあったのですが、長い間セレッソにいてセレッソのことも好きになっていましたし、それに代表でちょっといいプレーをしたからと言って移籍するのは調子に乗っていると思われるかなと(笑)。僕はセレッソに何を残したのか、と考えました。セレッソは僕に色々なモノを与えてくれたけど、僕はセレッソに対して何ができたのかと。そうしたら、ミスしたことしか出てこなかった(苦笑)。16年に昇格できた時は嬉しさよりホッとした気持ちでした。17年はタイトルを獲りましたが、僕は代表に行って、ルヴァンカップは決勝しか出ていません。決勝は「丹ちゃん(丹野研太)のためにも絶対に優勝しないといけない」という気持ちで臨みました。プライベートでも、17年は結婚という大きな出来事がありました。結婚してから、気持ちの部分で余裕ができました。生活も安定しました。嫁は僕の仕事を理解してくれていますし、全部、サッカーに合わせてくれます。体もメンタルも安定しました。もうちょっと早く結婚していれば良かったかも知れません(笑)。ロティーナ監督に出会った19年と20年は、「まだまだ成長できることがいっぱいある」と感じることができました。そう思えたことが嬉しかったです。21年の途中から小菊監督になり、今季で4年目です。チームのやり方はハッキリしてきました。監督が求めること、やるべきことも全員が理解しています。今季はさらに各ポジションで競争も激しくなり、ピリッとした雰囲気があります。リーグ優勝という目標に向けて、スタッフが強い気持ちで準備してくれています。選手たちもそこに付いていけるようにやっていかないといけません。目標達成のために、少しも気を抜くことができない、という緊張感があります。自分自身、さらに自分にフォーカスして、自分ができる最大限のパフォーマンスを追求していきたいです。小菊さんは、コーチ時代から激しさや強度を求めていました。それを練習からみんなが表現しています。僕も小菊さんと性格が似ていて、「練習からやらないと、試合ではできない」という考え方です。「今までずっとセレッソのGKをやってきたから守る」のではなく、「実力があるから守る」と周りに思わせないといけません。それは、サッカーをやっている間は最後まで変わりません。一昨年、外国籍選手としてのJ1最多出場数を更新しましたが、これからも1試合でも多く出たい。もっと成長したい。満足することは、この先もずっとないと思います。今季はクラブ創設30周年ですが、振り返ると、09年から今まで、30年の半分をセレッソでプレーしてきました。ここまで来たら、このクラブでリーグ優勝を獲りたい。優勝したら、セレッソはもっともっと強くなります。今年こそ、みんなで一つになって、絶対にタイトルを獲りましょう。


CAREER
経歴

東国大学校→セレッソ大阪

NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴

U-18韓国代表 U-19韓国代表 U-20韓国代表 韓国代表

PERSONALITYパーソナリティー

  • 1 ニックネーム

    ジンさん
  • 2 利き足

    右足
  • 3 足のサイズ(cm)

    28.0
  • 4 自分のプレーの特徴

    ビルドアップ
  • 5 試合前に必ずすること

    自分のことに集中する
  • 6 オフの過ごし方

    家族とお出かけ
  • 7 サッカーを始めた年齢

    11歳
  • 8 サッカーを始めたきっかけ

    ボールで遊ぶのが好きで
  • 9 影響を受けた指導者

    小菊さん
  • 10 仲の良い選手/理由

    清武、山下、香川/歳が近い
  • 11 チームメートの意外な一面/内容

    登里/思ったより明るい
  • 12 サッカーで一番大切にしていること

    ルーティン
  • 13 今季対戦が楽しみなチーム/理由

    ガンバ/鈴木徳真と松田陸が移籍したから
  • 14 今までで一番悔しかった試合

    2015年アジアカップ決勝 オーストラリア戦
  • 15 将来の夢(サッカー面)

    今はわからない
  • 16 もしサッカー選手じゃなかったら

    バスケットか、野球
  • 17 あなたにとってサッカーとは

    人生の糧
  • 18 今季の目標(サッカー目標)

    リーグ優勝!
  • 19 セレッソ大阪の好きなところ

    みんなが前向き
  • 20 セレッソ大阪のイメージ

    明るい
  • 21 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ

    サポーターとの一体感
  • 22 どんな応援をされると嬉しい?

    勝っても負けても最後まで支えてくれる応援
  • 23 趣味・マイブーム

    ゴルフ
  • 24 自分の性格を一言で!

    落ち着いた性格
  • 25 生きていて1番ワクワクする瞬間

    サッカーする時
  • 26 生まれ変わったら何になりたい?

    実業家
  • 27 座右の銘、好きな言葉

    自分自身に勝つ
  • 28 初めての給料の使い道

    お母さんに差し上げました
  • 29 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?

    こだわりなし
  • 30 好きなアニメ/マンガ/ゲーム

    スラムダンク
  • 31 好きな音楽のジャンル

    バラード
  • 32 今一番欲しいもの

    MacBook
  • 33 最近嬉しかったこと

    家族旅行
  • 34 引退後にやってみたいこと

    事業
  • 35 誕生日にもらって嬉しかったもの

    時計
  • 36 いつもつけている香水(銘柄等)

    HERMES
  • 37 今季の目標(プライベート)

    ゴルフのスコア90台
  • 38 ファン・サポーターへひと言

    いつも感謝しています
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