PROFILE
プロフィール
- 名前上門 知樹(ウエジョウ サトキ)
- 生年月日1997/04/27(27歳)
- 出身地沖縄県
- 身長/体重166cm / 61kg
- ポジションMF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
沖縄県うるま市出身です。沖縄はいいっすよ(笑)。生まれてからは、ほぼうるま市で過ごしました。サッカーを始めたのは小3です。兄のサッカーの試合を見に行って釘付けになり、ハマりました。元々、父は野球をしていて、兄も最初は野球。ただ、魅力を感じなかったみたいで、すぐやめてサッカーをやったみたいです。兄が野球をやっていたら、自分も野球だったかも知れません(笑)。実は姉もサッカーしていました。兄、姉がいて末っ子です。勝連FCという少年団に入ったのですが、一つ上の代が強く、小学校の大会で三冠も。一つ年下ですが、僕も出させてもらっていました。でも、僕の代は弱かったです(笑)。
-中学~高校-
中学(与勝中)は部活ですね。少しずつ試合にも出させてもらい、トレセンにも入れるようになりました。ポジションはFWかトップ下でした。中学時代で覚えていることは、一度、調子に乗って、使われなくなった経験をしました。そこで気持ちを入れ替えました。この経験がなければ、天狗になったまま終わっていたかも知れません。高校(与勝高)でも部活でプレーを続け、3年の時は選手権予選の決勝まで行ったのですが、決勝で負けました。高校卒業後は、プロサッカー選手は難しいだろうと思っていました。沖縄国際大学にサッカーで誘われていましたが、勉強があまり好きではなく、調理師になろうと。お兄ちゃんが調理師になったのですが、尊敬していたので、自分も付いていこうと。専門学校に行く準備もしていました。そうしたら、選手権予選の決勝後にFC琉球からオファーをもらって。最初は行かないつもりだったのですが、「誰にでもできることではないから」と、父が背中を押してくれました。この時、父の後押しがなければ琉球の誘いも断っていましたし、プロサッカー選手にはなっていないので、今思えば感謝してもしきれないですね。
-プロ以降-
最初、やれるだろうという変な自信もあったのですが、あっけなく崩れました(笑)。J3でもこんなにレベルが高いのかと衝撃を受けて。何もできない1年でした。正直、かなり焦りました。仕事、どうしようと(苦笑)。プロ契約だったのですが、給料も少ないし、お金がなかった。ただ、実家から通っていたので、そこは助かりました。父子家庭で育ったので、当時から早く自立して楽にさせてあげたい思いが強かったです。3年目に開幕スタメンを掴んで点を取って、自信は付きました。ただ、その後が続かなくて、危機感がありました。まだ体が出来上がっていなくて、プロの強度にも苦しみました。ただ、この年に琉球に来た播戸竜二さんの影響は大きかった。同じFWだったので、毎日、練習で怒られていました。「もっと自信を持て」と言われ続けて、気付かせてくれました。この経験が次の年の爆発につながったと思います。4年目は、主力選手が移籍でいなくなったこともあり、当時の樋口靖洋監督に使ってもらいました。感謝しています。3年目に昇格して、4年目は舞台がJ2になったのですが、そこで14点を取れたことで、一気に自信が付きました。当時の琉球のフィジカルコーチの筋トレが僕の体とマッチして、キレも出始めました。この時の筋トレは今も続けています。この年は、山田(寛人)選手がシーズン途中で加わりました。「スゲーヤツが来たな」と思って(笑)。2トップを組んだのですが、万能型だったので、僕が山田の下を動いていました。やり易かったですね。セレッソに来た時も、アイツがいたので助かりました。小野伸二選手も同じようなタイミングで(FC琉球に)来られて。技術が半端なかったですね。衝撃を受けました。間近で見られたことは大きかったです。シュートに関しては、中学校の時に、W杯の影響で本田圭佑選手が打った無回転シュートが流行って、練習し始めました。壁に打ち続けていました。誰かに教わったというより、自分で編み出した感じですね。
翌年、プロ5年目にファジアーノ岡山に移籍しました。1年目は慣れることに必死でしたね。42試合に出たのですが、守備で苦労しました。琉球時代は攻撃的なチームで、いい意味で守備はあまり意識していなかったのですが、岡山は守備に厳しくて、だいぶ鍛えられました。セレッソに来てさらに鍛えられましたが、岡山時代に学んだことが役に立っています。
移籍を決める前はかなり悩んだのですが、岡山に行って良かったなと思います。2年目に13点を取って、さらに上のカテゴリーでやりたい思いが強くなりました。そのタイミングでセレッソからオファーを頂いて、チャンスは逃したくないと。他のJ1クラブからもオファーをもらったのですが、清武(弘嗣)選手のことは学生時代からずっと見ていましたし、一度は一緒にやってみたかったので。山田もいたし、J2から移籍してすぐセレッソで活躍していた坂元(達裕)選手の例も大きかったです。梶野(智)さんと話をした時も熱意を感じたので、すぐセレッソに決めました。
セレッソに入って思ったことは、J1の環境はレベルも施設も全然違うということ。クラブハウスが完備されていてバランスの取れた食事も取ることができます。スタジアムの雰囲気も凄くいいですし、感動しました。もちろん、練習のレベルも高かった。最初は付いていくのに必死でした。試合でも、強度もスピードもJ2とは全然、違う。全てにおいて、もう1つ2つ上のレベルにいかないといけない意識になり、J1で活躍したい思いは強くなりました。1年目で伸びたことは、守備とメンタルです。守備は、シーズン序盤は「このくらいでいいだろう」と勝手に満足していたのですが、それを見逃さない監督でした。メンバー外の時期に自分でも考えつつ、監督とも話をさせてもらって、「これでいいだろう」という考えはなくなりました。最初は「ゴールで貢献したい」という思いだけだったのですが、どのプレーでもチームに貢献したい思いが強くなりました。2年目の昨季は、チームとしてシーズン終盤に失速したことが悔しかったです。今年はリーグ優勝をより強く目指しているので、好不調の波を少なくすることが大事。個人としても、J1で3年目ですし、よりチームの中心としてプレーする覚悟をもって臨んでいます。選手層も厚くなり、競争は激しいですが、負けられない思いは強いです。与えられたポジションで自分のベストを尽くして、より結果も求めていきたいです。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
ジョー2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
25.04 背番号のこだわり
7が好き5 スパイクのこだわり
フィット感6 自分のプレーの特徴
シュート7 試合前に必ずすること
ラムネ食べる8 遠征に必ず持っていくもの
化粧品9 オフの過ごし方
まいくまと過ごす10 ストレス解消法
寝る11 サッカーを始めた年齢
9歳12 サッカーを始めたきっかけ
お兄ちゃんがサッカーしてたから13 影響を受けた指導者
高校の時の監督14 仲の良い選手/理由
マイク(毎熊選手)/毎日一緒15 チームメートの意外な一面
きょーへいくん(登里選手)/ムードメーカーすぎた16 憧れの選手
清武選手17 サッカーで一番大切にしていること
感覚18 今季対戦が楽しみなチーム/理由
浦和レッズ/補強をたくさんしてるから19 今までで一番嬉しかった試合
2023 ホーム神戸戦20 今までで一番悔しかった試合
2022 ルヴァン決勝21 将来の夢(サッカー面)
日本代表22 もしサッカー選手じゃなかったら
調理師23 あなたにとってサッカーとは
人生24 今季の目標(サッカー目標)
10ゴール25 セレッソ大阪の好きなところ
みんな元気26 セレッソ大阪のイメージ
チャラい27 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
サポーターと距離近い28 どんな応援をされると嬉しい?
応援していただけれるのであればなんでも嬉しい29 おすすめの地元飯
沖縄そば30 趣味・マイブーム
温泉31 自分の性格を一言で!
人見知り32 自分の一風変わったくせ
笑い方らしいです33 生きていて1番ワクワクする瞬間
ゴール決めた瞬間34 生まれ変わったら何になりたい?
大谷翔平35 座右の銘、好きな言葉
なんくるないさー36 初めての給料の使い道
親に欲しいものプレゼント37 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
千鳥38 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
今田美桜39 好きな女性のタイプ
落ち着いててよく笑う人40 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
ロング41 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
ワンピース42 好きな映画のジャンル
洋画43 好きな音楽のジャンル
洋楽44 苦手な食べ物
ナス45 この世で一番好きなもの
焼肉46 この世で一番怖いもの
サメ47 今一番会ってみたい人
大谷翔平48 今一番欲しいもの
信頼49 引退後にやってみたいこと
考え中50 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
洗濯、洗濯物畳む51 誕生日にもらって嬉しかったもの
全部52 ほっとする瞬間
寝る前53 いつもつけている香水(銘柄等)
BON PARFUMEUR 201オードパルファム54 今季の目標(プライベート)
マイクと自炊55 ファン・サポーターへひと言
ゆたしく うにげーさびら