PROFILE
プロフィール
- 名前ヴィトール ブエノ(ヴィトール ブエノ)
- 生年月日1994/09/04(30歳)
- 出身地ブラジル
- 身長/体重185cm / 78kg
- ポジションFW
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
家族は誰もサッカーをしていなかったのですが、神様がくれた贈り物だと思っています。4歳でサッカーボールをもらいました。そこからサッカーに恋をした、という感じです(笑)。最初から楽しくて仕方なかったですね。一目惚れした彼女みたいな感じでした(笑)。サンパウロ州のリベイロン・プレトで生まれて、その後は14歳までサンパウロ州のモンチアウトで育ちました。幼少期に通ったスクールでは、常に2、3歳上の子どもたちとプレーしていました。この時期、両足で蹴る練習をしていました。家の裏庭でも蹴り続けていました。そのおかげで、シュートが上手くなったのだと思います。
-学生~プロ以降-
15歳でアトレチコ・モンチアズーのアカデミーに入り、16歳でプロ契約を交わしました。昔は身長が小さかったのですが、16歳から一気に伸びました。伸び過ぎてフォームが難しくなり、フィジカルコーチに走り方を学びました。ポジションは当時から攻撃的で、点を取ることが好きでした。そこからECバイーアにレンタルで行って、18歳でモンチアズーに戻りました。ここで契約が切れて、ボタフォゴSPに移籍しました。モンチアズーではプロ契約は交わしたものの、試合に出ることはできず、プロデビューしたのはボタフォゴでした。
18歳の時、U-20の大会に飛び級で出たのですが、そこでいい成績を残せて、トップチームに上がってプロデビューできました。妻とは、この時期に知り合いました。彼女は日系で、3歳から8歳まで日本で暮らしていました。それもあり、僕たち夫婦は「いつか日本に住みたい」という夢がありました。その夢を叶えることが出来て、妻もとても喜んでいます。彼女の父が日本の方なのですが、3年前に亡くなってしまい、とても辛い思いをしました。それでも、義父の夢を叶えることができたことは良かったです。
キャリアに話を戻すと、ボタフォゴで成長できて、21歳になる2015年にサントスへ移籍しました。サントスでの2年目の2016年、カンピオナート・パウリスタ (サンパウロ州選手権)で優勝し、カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)で準優勝しました。自分自身、33試合に出て10得点を取れて、新人王も獲得しました。この年は自分のキャリアにとって、とても大きくて、サッカー選手としてブレイクできたと思います。ここからブラジルだけではなく、欧州などからも注目されるようになりました。ポジションはずっとトップ下でした。
サントスでの3年目は、レヴィー・クルピ監督の元でプレーしました。いい指導者でした。心の大きな人でしたね。ただ、この年、全治7ヶ月の大ケガをしてしまい、試合に出ることができず…。ケガがなければ欧州に行けたかもしれなかったので、心は少し沈みました。それでも、翌年の2018年にディナモ・キーウ(ウクライナ)に期限付き移籍しました。自分にとって初のブラジル国外でのプレーであり、寒くてすぐに筋肉系のケガもしてしまい、馴染めないまま退団しました。翌2019年、サンパウロに期限付き移籍します。2020年にはサンパウロに完全移籍しました。
19年、20年とリーグでもいい結果を残せて、2021年にはサンパウロ州選手権で優勝するなど、サンパウロではいい時期を過ごせました。ただし、サントスとサンパウロは同じ州のライバルであり、クラシコです。サンパウロに移籍する時は、サントスのサポーターからめちゃくちゃ怒られました(苦笑)。でも、それも人生です(笑)。両チームの試合は自ずと激しくなります。ちなみに、僕はクラシコでは勝った試合の方が多いです。サッカー選手として、クラシコを戦えるのは幸せなこと。日本でも大阪ダービーは楽しみですし、大事な試合です。最近はセレッソが勝ち続けていると聞いています。それを続けていきたいですね。
2022年、2023年の2年間は、アトレティコ・パラナエンセでプレーしました。特に23年は、自分のキャリアにとって、最高のシーズンになりました。数字だけではなく、プレー内容、チームへの貢献度、どれも満足できました。監督からも信頼してもらい、サポーターからも応援してもらって、家族も街を愛していました。
そうした素晴らしいシーズンを送ったのですが、昨年から日本でプレーする決断をしました。難しい決断でしたが、新たな一歩を踏み出して、チャレンジしたかった。新しい文化に触れることは、人生を豊かにします。それに、先ほども言ったように、日本で暮らすことは妻の夢でもありました。その夢も乗せて、妻とも話し合って決断しました。
Jリーグでプレー経験がある選手では、元鹿島アントラーズのピトゥカ選手とサントスで一緒にプレーしました。また、ガンバ大阪でもプレーしていたアデミウソン選手とは、一緒にプレーした経験はないですが、知り合いだったので、Jリーグや日本について聞きました。いいことしか聞かなかったですね。「平和な国。大阪もいい街で、みんないい人ばかり」だと。実際、日本に来て、聞いていた通りでした。とてもオーガナイズされた国で、食事も美味しく、すぐに馴染むことができました。日本に来れた経験は、私たち夫婦にとって宝物になりました。チームメート、スタッフを始め、歓迎して下さった全ての皆さんに感謝しています。
ただし、ピッチでは、1年目の昨シーズンは試合に出る機会が少なかったので、2年目の今シーズンは、とてもハングリーな気持ちです。昨年も出た試合では結果を残せたと思っていますが、今年は昨年以上に自分の持っているクオリティーを発揮して、得点につなげて、チームのタイトル獲得に貢献したいです。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
ブエノ2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
27.54 背番号へのこだわり
10番が好き5 スパイクのこだわり
軽いスパイクがいい6 試合前に必ずすること
モビリティートレーニング7 自分のプレーの特徴
パス8 遠征に必ず持っていくもの
iPad9 オフの過ごし方
嫁とあちこちに出かける10 ストレス解消法
サッカー以外のことをする、外食に行く11 サッカーを始めた年齢
5歳12 サッカーを始めたきっかけ
いつもサッカーが大好きでサッカースクールに入った13 仲の良い選手/理由
パブロ選手(2015年セレッソ在籍)/攻撃のイメージが合うし話してても楽しいから14 チームメートの意外な一面/内容
ルーカス フェルナンデス選手/本人は英語を話せないと言うが、結構しゃべれる!15 憧れの選手
ロナウド選手16 サッカーで一番大切にしていること
パフォーマンスを数字で残すこと17 今季対戦が楽しみなチーム/理由
ガンバ大阪/ダービーは特別な一戦だから18 今までで一番嬉しかった試合
サントスで初めてタイトルを獲得した試合19 今までで一番悔しかった試合
2022年リベルタドーレス決勝20 将来の夢(サッカー面)
セレッソの一員として優勝すること!21 もしサッカー選手じゃなかったら
サッカーの代理人22 あなたにとってサッカーとは
人生23 今季の目標(サッカー目標)
リーグ優勝!24 セレッソ大阪の好きなところ
スタッフがファミリーとして一丸となっている25 セレッソ大阪のイメージ
ファミリー!26 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
サポーターのビッグフラッグ27 どんな応援をされると嬉しい?
チャントはかなり嬉しいです28 おすすめの地元飯
料理はないけどオレンジは有名29 趣味・マイブーム
オフに出かけて日本を満喫すること。30 自分の性格を一言で!
控えめ・おとなしめ31 自分を動物に例えると
ライオン32 生きていて1番ワクワクする瞬間
試合の前33 生まれ変わったら何になりたい?
変わらず今と同じがいい34 座右の銘、好きな言葉
ハードワークは必ず実を結ぶ35 初めての給料の使い道
自分の服をたくさん買った36 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
Gustavo Lima37 好きな女性のタイプ
嫁のような女性38 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
両方39 好きなマンガ・アニメ・好きなTV番組・ YouTubeチャンネル
ドラゴンボール40 好きな季節/理由
夏/太陽を浴びて人生を満喫できるから41 好きな音楽のジャンル
セルタネージョ(ブラジルのカントリーミュージック)42 好きな食べ物
白米・フェイジョン・肉43 苦手な食べ物
マヨネーズ44 この世で一番好きなもの
家族みんな45 この世で一番怖いもの
高いところ46 今一番会ってみたい人
ロナウド47 今一番欲しいもの
子供が欲しい48 最近嬉しかったこと
家族とシーズンオフを楽しめたこと49 引退後にやってみたいこと
家族といろんなところに旅行したい50 学生時代に得意だった科目
ポルトガル語51 ほっとする瞬間
マッサージ52 旅行に行くならどこに行きたい?
ヒベロンプレット→ブラジルの地元53 いつもつけている香水(銘柄等)
モンターリョレッキ54 ファン・サポーターへひと言
共に喜びを分かち合えるようにシーズン最後まで一緒に闘いましょう!