PROFILE
プロフィール
- 名前平野 佑一(ヒラノ ユウイチ)
- 生年月日1996/03/10(28歳)
- 出身地東京都
- 身長/体重174cm / 68kg
- ポジションMF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
サッカーを始めたきっかけは、誰よりも美しいエピソードだと思います。まず当時の状況を説明すると、当時、両親が仲良くしていた方の旦那さんがイギリス人で、同じタイミングで子どもができたんです。その両親は「いずれイギリスに帰るから」と、子どもを都内にあるインターナショナルスクールに通わせました。僕の両親も「じゃあウチも」となって、僕も一緒に通い始めることになったんです。小学校に入るまでの間だったのですが、共通言語は全て英語だったので、それで英語を話せるようになりました。小さい頃は英語の方がペラペラで、日本語の方が難しかったぐらい(笑)。そこから友達の両親がイギリスに戻ることになり、僕の親も「日本語をしっかりさせないといけない」ということで、小学校からは日本の学校に入りました。そこで少し言語の壁があって、友達と話せないことで孤独になり、友達を作るツールとして、サッカーを始めました。そこで一番仲良くなった子と同じキンダー善光SCという少年団に小1の途中から入りました。それがサッカーを始めたきっかけです。「友達を作るため」という理由で始めたサッカーでしたけど、すぐにサッカー自体を好きになって、続けていくことになりました。ちなみに、この幼少期の経験を元に、のちに某有名大学のAO入試を受けました。“サッカーの持つ、言語の壁を超えるコミュニケーション力の強さ”という実体験を生かして、“東京でも過疎化が進んでいる村をスポーツの力で復興していこう”という議題をトピックに受けたんですけど、落ちました(苦笑)。キンダー善光には、セレッソでもプレーしていた都倉賢くん、北海道コンサドーレ札幌にいる岡村大八、僕、その3人がプロになっています。この少年団での恩師の先生には、技術どうこうというより、サッカーを楽しむことを教わりました。人としても成長させてもらいました。中学以降の進路も常にアドバイスをもらうほど、本当にお世話になった方でした。少し前に亡くなったのですが、大人になってこんなに泣くことあるんだ、というくらい本気で泣きました。
-中学~大学-
中学からは東京ヴェルディのジュニアユースに入ります。小学生時代、僕の代のキンダーはいい選手が集まっていて、小4から小6まで、全国大会の東京都予選の決勝までは常に行けたんです。ただ、3年連続で、決勝でヴェルディにボコられる。しかも0-4とか0-6とか大差で(苦笑)。でも決勝には僕もずっと出ていて、僕を見る機会も多かったこともあってか、オファーをもらいました。この時はナショナルトレセンにも入っていて、サッカー人生のピークでした(笑)。(中学へは)川崎(フロンターレ)にもマリノス(横浜F・マリノス)にも行けたんです。そこで、先ほど話した恩師の方に、どこがいいかを尋ねてヴェルディに決めました。いざ入ってみると、僕の代のヴェルディはめちゃくちゃ強くて、ついていけなかった。小学生時代は「僕の右に出るものはいない」という感じでやっていたのですが、ヴェルディは世界が違いました。1年の時は、「辞めようかな」と思うくらい、練習に通う足取りも重かった。中学の3年間はサッカーを一番楽しめなかった時代でした。(難しかったのは)体の大きさもそうでしたし、小学生から一緒にやって、そのまま中学に上がって出来上がっているチームだったので、そこに入っていくのが難しかったです。試合にも全然、出られませんでした。
高校は國學院久我山高校に進学します。ヴェルディのユースに上がる選択肢ももらったのですが、ヴェルディに上がったらまた試合に出られないと思い、上がるのはやめました。一つ上の学年に前田直輝選手や中島翔哉選手もいる凄い世代だったので、無理だなと。あとは、高校を決めるにあたり、両親はサッカー漬けではなく、しっかり勉強もさせたい思いがあり。だからサッカー部の実績や勉強の偏差値とも照らし合わせて、先ほどの恩師の先生にも話を聞いて、久我山に決めました。両親はスポーツ推薦を許してくれなかったので、偏差値68くらいの学校に受験で入りました。中学時代は勉強にも励みました。サッカーの練習と並行して塾にも通い、学年で150人くらいの中で3位以内にも入りました。今では考えられないです(笑)。ただ、久我山は東大にも進学するような学校だったので、今度は勉強についていけなくなり(苦笑)、中学とは逆転現象が起こりました。サッカーでは1年から試合に出ることができたのですが、勉強は赤点にならない程度に頑張って、部活に励みました。スタイルも自分が好きなサッカーで、今につながるプレースタイル、プロになる基礎を作ってくれました。ピッチを使えるのはコートの半面と密集していたので、3年間、狭いところで細かいタッチでパスをつなぐ練習をしていました。李済華監督が、グアルディオラ率いるバルセロナのサッカーが好きで、「バルサを見ろ」と言われていたので、僕もブスケツをひたすら見て真似していました。久我山は「美しく勝て」というスローガンを掲げていて、攻撃的なパスサッカーをしていたので、めちゃくちゃ楽しかったです。高校選手権にも1年と3年で出場して、1年ではベスト16まで行きました。3年では最後の国立で、開幕戦で負けました。プロになった先輩には田邉草民くん、丸山祐市くん、セレッソでもプレーしていた山内(寛史)くんなど結構います。僕自身もプロサッカー選手になりたかったのですが、高卒でなれるイメージは湧かず。でも大学を経てプロになる道筋は見えた高校時代でした。
大学進学にあたっては、サッカーが強い大学、慶応や明治、早稲田、中央、筑波、法政に一般で入るには、当時の成績では1浪することになると考えていました。その選択肢は嫌だったので、「スポーツ推薦で大学に進みたい」と親に熱意を持って伝えたら、それまで文武両道で教育に厳しかった父親からも、「サッカー1本でやれるならやってみろ」と了承を得ました。ただ、それを得たのが高3の選手権終わり。スポーツ推薦で入るには時期が遅く、枠がなかったんです。そこで恩師に相談したら、国士舘大学は1年間スポーツ推薦を受け入れていると。高3の3月入試で、スポーツ推薦で受かりました。大学卒業後は必ずプロになるという意思で入りました。国士館での4年間は、一言で言えば人間力を磨きました。人間関係など、大人になって社会で生きていくための術を学びました。サッカーのスタイルは高校時代とは真逆でしたが、走力やフィジカルを鍛えてもらいました。戸惑いはあったのですが、1年から試合に出させてもらったことが大きかったです。4年では主将も務めました。国士館は、毎年、一学年で5人ぐらいプロに行くので、自分もプロに行くことはイメージできました。その中で、水戸(ホーリーホック)から一番熱心に誘っていただき、プロサッカー選手になることができました。大学時代、関東選抜には入ったのですが、全日本は守田(英正)選手や脇阪(泰斗)選手に負けて、入れませんでした。セレッソとのつながりで言うと、同学年に明治のトリ(鳥海晃司)がいて、対戦もしました。
-プロ以降-
水戸での1年目は、この年に就任した長谷部(茂利)監督でした。なかなか試合に出ることはできなかったのですが、1年目は取り組みや思考の部分で、プロサッカー選手としての生き方を学びました。チームメートもいい人しかいなくて、いい背中を見せてくれました。2年目に20試合出させてもらって少し自信が付き、3年目に秋葉(忠宏)監督になり、この出会いが大きかったです。プロとして羽ばたかせてくれた監督だと思っています。試合にもずっと出させてもらいましたし、マインドが似ていました。「ミスを恐れない」「ミスしてもいいから前向きなプレーをしろ」と言われ、その思考が合致して、伸び伸びプレーできました。ダブルボランチの一角、攻撃時は4-3-3になるようなシステムのアンカーで、自由にやらせてもらいました。秋葉監督とのエピソードで言うと、選手との距離も近い監督で、試合前のミーティングも「お前がやれ」と言われたこともありました(笑)。「こう攻めていこう」とか話していましたね(笑)。アキさんとの出会いは転機でした。そして、プロ4年目、21年の夏に浦和レッズへ移籍します。3年目で手応えを感じて4年目も主力でやっていたので、ステップアップは考えていました。ただ、J2の上位かJ1でも下位のクラブかなと思っていたら、浦和からオファーが来たのでビックリしました。タイミングも良かったんだと思います。リカルド(ロドリゲス監督)が就任して半年。「岩尾憲のような選手、ピッチで頭脳になれる選手を探している」という中で、そのリストに僕の名前があったようです。中断期間に水戸と浦和が練習試合をして、僕たちが勝ったことも大きかった。僕自身も調子が良くて、アシストもしました。そうしたら、練習試合の翌日に打診が来て、代理人に「ホントですか?」と聞きました(笑)。同時期、浦和には酒井(宏樹)選手、(アレクサンダー)ショルツ選手、江坂(任)選手が入って、4人目が僕だったので、周りの人は「誰?」って感じだったと思います(苦笑)。そこから4人とも試合に出て、3人のおかげで勝ち続けて、「J1でもやれるんだ」という手応えを得ることができました。アキさんの求めることとリカルドの求めることが似ていたことも大きかった。チームが変わった中でも「自分のプレーを出せばやれるんだ」という実感を持ちました。リカルドも英語が話せたので、直接コミュニケーションを取れたことも大きかったです。ただ、次の年に岩尾選手本人が来たんですよ(笑)。「岩尾のような選手を探している」ということで僕が呼ばれたのに、本人が来たから、これは出れないなと(苦笑)。でもすぐ移籍するのは嫌だったので、頑張ってみようと。岩尾選手とも、いい関係性は保てていました。「ちょっとはチャンス下さいよ」みたいな軽口も叩いて(笑)。でも隙を与えてくれなかったですね。ケガもしないし、タフだし、計算もできる。僕もJ1の強度でもやれる自信はあったのですが、なかなか勝てなかったです。浦和での3年目は(マチェイ)スコルジャ監督が就任して、一から勝負という気持ちだったのですが、リカルドとはスタイルが変わり、求められるボランチ像がスキルよりも走力みたいな感じになり、苦しみました。ただ、試合に出られないからといって、それが幸福度に直結するわけではなく、サッカーを楽しめた1年でもありました。自分が変えられないことに力を使うのではなく、練習にしっかり向き合うマインドを持てた1年でした。浦和では、天皇杯とACLを獲れました。特にACLはどのクラブでも獲れるタイトルではないので、嬉しかったですね。試合に出ている、出ていないは別として、肌感覚として、どういうチームが優勝するのか。それを体験できたことは大きかったです。サポーターを含め、これがプロなんだなと肌で体感できた2年半でした。感謝しています。
今年からセレッソに加入して、雰囲気がめちゃくちゃいいと感じています。先輩方がメリハリをしっかり付けて下さり、若手も委縮することなく、ガツガツ、プレーしています。練習は厳しくやって、終わればパッと柔らかくなる。そうしたオンとオフの使い分けも素晴らしい。このチームの一員として、サポーターと一緒に成功体験を掴みたいと本気で思っています。試合に出る、出ないに関わらず、チームのためになる選手でありたい。もちろん、ピッチで力になることが一番ですし、チャンスをいただけたらモノにする自信もあります。小菊(昭雄)監督は選手と密にコミュニケーションを取ってくれますし、長所を伸ばしてくれる、いい監督だと思います。チームの結束力は強いですし、練習の強度も高い。浦和でもそうでしたが、(年)上の選手に存在感があったり、優勝を経験しているか、していないかは大きい。その意味では、このチームにもそういう選手はいます。条件的には、本気で優勝を目標にできるチームだと思います。ただ、優勝するためには、試合でクオリティーをいかに発揮していくか。それが大事になると思います。常に改善、進歩し続けて、1年を通して優勝が見える位置に居続けたい。それが今年の思いです。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
ひらゆー2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
26.54 背番号のこだわり
かっこいい5 スパイクのこだわり
かっこいい6 自分のプレーの特徴
ボールを触っている時間7 試合前に必ずすること
ストレッチ8 遠征に必ず持っていくもの
ボディークリーム9 オフの過ごし方
ゴルフ10 ストレス解消法
ゴルフ11 サッカーを始めたきっかけ
コミュニケーションがとれる12 影響を受けた指導者
秋葉さん13 仲の良い選手/理由
外山凌、伊藤槙人/運命14 憧れの選手
ブスケツ15 サッカーで一番大切にしていること
紳士16 今季対戦が楽しみなチーム/理由
浦和レッズ/前所属チームなので17 今までで一番嬉しかった試合
高校1年時の選手権の東京都予選決勝18 今までで一番悔しかった試合
高校3年時の全国大会初戦19 将来の夢(サッカー面)
英語圏でプレー20 もしサッカー選手じゃなかったら
アーティスト21 あなたにとってサッカーとは
欠かせないもの22 今季の目標(サッカー目標)
リーグ優勝23 セレッソ大阪の好きなところ
あたたかみ24 セレッソ大阪のイメージ
かっこいい25 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
スタジアムの一体感26 どんな応援をされると嬉しい?
大きな声援27 趣味・マイブーム
ゴルフ28 自分の性格を一言で!
柔軟性29 生きていて1番ワクワクする瞬間
試合前30 生まれ変わったら何になりたい?
アーティスト31 座右の銘、好きな言葉
人事を尽くして天命まつ32 初めての給料の使い道
忘れてしまいました33 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
千鳥34 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
マツコ・デラックス35 好きな女性のタイプ
美しい方36 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
気にしてません37 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
キングダム38 好きな映画のジャンル
最後の最後でなるほどとなるやつ39 好きな音楽のジャンル
クラシック40 苦手な食べ物
しみしみにしみたしいたけ41 この世で一番好きなもの
朝食後の睡眠42 この世で一番怖いもの
部屋の中でゴキブリを見つけ逃げられた時43 今一番会ってみたい人
大谷さん44 今一番欲しいもの
別荘45 最近嬉しかったこと
家が決まりそうです46 引退後にやってみたいこと
アーティスト47 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
英語48 誕生日にもらって嬉しかったもの
旅行券49 ほっとする瞬間
遅刻するかしないかギリの状況で結果しなかった時50 いつもつけている香水(銘柄等)
時の流れに身を任せ51 今季の目標(プライベート)
人生を謳歌する52 ファン・サポーターへひと言
共に闘いましょう、最高なシーズンを共に