PROFILE
プロフィール
- 名前山下 達也(ヤマシタ タツヤ)
- 生年月日1987/11/07(37歳)
- 出身地兵庫県
- 身長/体重182cm / 77kg
- ポジションDF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
サッカーを始めたのは幼稚園の年長です。同じマンションに住んでいた友達と「明石のクラブチームに行ってみよう」と。元々、運動神経がいい方で野球もしていたのですが、サッカーをしてみたら楽しくて、すぐハマりました。明石FCというクラブです。明石市外から上手い子も来ていたので、レベルは高かったです。2つ上に兄がいて、兄も最初は野球をしていたのですが、小3からサッカーをしていました。兄の同級生に河本さん(河本裕之)がいて、その人のプレーを見て育ちました。小学生時代は中盤をやっていました。高学年で県選抜にも選ばれたのですが、そこではDFでした。筋肉質だったので、小学校ではスピードとキック力で何とかなりました(笑)。小6から福西(崇史)さんが好きでした。BSでやっていた磐田の試合を見て、点を決めているシーンを見てからですね。顔も格好いいし、ヘディングで点も取る。アクロバティックなプレーも多かったので、好きになりました。
-中学~高校-
中学では、部活でプレーしていました。礼儀には厳しい監督でしたが、スタメンも自分たちで決めるような感じで、サッカーは自由にさせてくれました。中学3年間はボールを触る回数もめちゃくちゃ多く、成長できました。選抜ではCBだったのですが、チームでは中盤で、王様みたいな感じで好き放題やっていました(笑)。練習メニューは、県の選抜でやったメニューを取り入れたり、見よう見まねでやっていました。戦術的なメニューは一切なかったですが、全員、真剣にやっていましたね。この時、兵庫県選抜で一緒だった選手でプロに行った選手は何人もいました。柏木陽介、横谷繁、デカモリシ(森島康仁)…。自分の学校で選抜に入っていたのは自分くらいだったので、中3ではキャプテンもやっていました。
高校は(神戸市立)御影工業(高等学校)に進みます。中3の時に、滝二(滝川第二)対御影工業が選手権予選の決勝で対戦していて、御影は負けたのですが、自分の中で、チャンピオンチームには行きたくなかった。御影工業は公立でお金もかからず、サッカーも強い。それに格好いい人も多かった。僕の父が中学校の先生なんですけど、父の知り合いが御影工業のGKコーチをしていた縁もあり、練習参加したら、自由と規律があるいい雰囲気だったので、決めました。3年間、県予選の決勝や準決勝までは行ったのですが、全国大会には出られませんでした。ポジションは、高校では最初からCBでした。1年から使ってもらいました。組んでいた3年の石沢(典明)さんという選手もヴィッセルでプロになったのですが、その人が凄すぎて、いいお手本でした。周りの先輩もめちゃくちゃ優しかったです。1年だと雑用をさせられるのかなと思っていたのですが、そういうこともなく、優しくしてくれました。そういう先輩たちの姿を見て、自分も変わりました。正直、中学までは王様タイプで、自分の想い通りにならないとイライラして怒鳴るようなタイプだったのですが、高校に行って、先輩たちの姿を見て、ホンマに性格が変わりました(笑)。グラウンド作りとかも、先輩たちのために誰より早く行って、一人で全部終わらせるようになりました。高1から試合に出ていたのは自分1人でした。2年、3年も出続けて、高3ではキャプテンをやっていました。自分がしてもらった分、後輩にはめちゃくちゃ優しかったですよ(笑)。サッカー選手は、高校に入ってからより目指そうと思ったのですが、まだ明確には自信を持てず、プロから声がかかったら行く、という感じで、大学も考えていました。そんな中、国体の活動で静岡遠征に行った時、元セレッソのスカウトという方に声をかけてもらって、「(進路は)大学を考えています」と伝えたら、その人から、当時セレッソでスカウトをしていた小菊(昭雄)さんに話がいったようです。小菊さんも「チェックしていますよ」と答えてくれたみたいです。そこから小菊さんが見に来てくれた試合はどの試合も調子が良かった。印象も良かったのか、セレッソからオファーをもらうことができました。母は大学に行って欲しかったようですが、父はプロ入りに賛成してくれました。プロにもなれて、先輩から学んだことも多かったので、御影工業を選んで良かったと思います。
-プロ以降-
同期には、(柿谷)曜一朗やデカモリシ、(香川)真司がいました。年代別代表で脚光を浴びている選手ばかりでしたね。プロでの最初の3年間は、ほとんどサッカーしていません(苦笑)。特に最初の1年は、U-23のような感じで、別のコートで練習していました。自分では必死にやっていましたが、付いていけなかったです。「このまま試合に出られず、カテゴリーを下げて頑張っていくしかないんかな」という思いもあったのですが、コーチだった小菊さんと勝矢(寿延)さんが奮い立たせてくれました。この時期、真司はどんどん試合に出て活躍していたので、コンビニとかでもおごってもらっていました(笑)。正直、自分は悔しいとか思えるほどのレベルではなかったです。プロサッカー選手としての転機は、11年の札幌移籍です。お客さんの前でプレーして、シーズンを通して目に見える結果を残せたのは、大きな自信になりました。札幌には感謝しています。結婚もこの年にしたので、公私ともにターニングポイントでした。そのシーズンオフに、セレッソから声をかけてもらいました。この時、セレッソだけではなく、色んなクラブからオファーがあったのですが、自分の中でセレッソは特別でした。当時、モニさん(茂庭照幸)や(藤本)康太がCBでレギュラーで出ていたので、戻っても試合に出るのは簡単ではないと分かっていましたが、セレッソでもう一度、挑戦したい思いが強かったです。ちなみに、当時は代理人もいなかったので、直接、自分にオファーが来ていたのですが、新婚旅行でラスベガスに行っている最中に連絡が来て、決めました(笑)。戻ってきた12年はあまり出られなかったですが、13年の第12節・柏戦でモニさんがケガをして途中出場して、そこから出続けることができました。出始めてから、14年の春に日本代表候補に呼んでもらったあたりまでは体の調子も良かったのですが、その後は痛い箇所も増えて自分のパフォーマンスにも納得していなかったです。チームの状況も悪くなり、セレッソに対して責任を感じることは多かったです。二冠を獲った17年くらいからは、一歩引いた目でチームを見るようになりました。メンタル的にも、外からチームを支える感じに変わりました。19年は開幕戦で点を取りましたが、途中で柏へ移籍します。「もう一度、勝負したい」思いが出てきて、より必要とされるチームに行こうと思っていたタイミングで柏からオファーをもらったので、移籍を決めました。柏でも厳しい時間は多かったですが、大谷(秀和)さんや鎌田(次郎)さん、染谷(悠太)くんら先輩たちが頑張るし、大人だったので、そういう選手たちを見ながら、ずっと走っていました。紅白戦にも出られない時期もあったのですが、トレーニングしかないと思って、ひたすら走っていました。自分の体をキープしようと必死でしたね。
柏でのプレーが終わってからは、色々考えました。最後にセレッソで引退できたら最高やな、という気持ちもあったので、22年にオファーをもらえた時は、めちゃくちゃ嬉しかったです。オファーがない時期は、色んなことを考えながら自主トレしていました。この時期、内にある魂を消さなくて良かったなと思います。消していたら、セレッソからのオファーも来ていなかったかも知れません。今まで色んなセレッソを見てきましたが、ここ数年のセレッソは、今までのチームの中でも、一番サッカーに対して真面目だと思います。練習の雰囲気も良く、スタッフも含めて雰囲気作りを大事にしていると感じます。今年は監督からチームキャプテンに指名されました。なかなか試合に出られていない状況でもあったので、一度は断ることも考えました。ただ、「練習からしっかりやる姿勢を見せれば、みんなも付いてくる」という話もしてもらいましたし、監督と2人で色んな話をして、そういう中で任せてくれたので、自分としてもチャレンジですが、やってみようと思いました。監督とはスカウト時代からの関係ですし、自分自身、ずっと監督を信じてやってきました。その結果、プロとしてここまでやってくることができています。そういう人の言葉は胸に刺さりますし、自分自身、セレッソを思う気持ちは誰にも負けないと思っているので、そのあたりは自信をもってやれると思います。ただ、何か特別なことをするつもりはありません。チームはみんなで作り上げていくもの。選手一人一人がチームを良くするために責任感を持ってやれば、自ずとチームはまとまっていきます。理想のキャプテン像についても、「今まで通りやってくれ」と監督にも言われましたし、特に何か行動を変えるつもりはありません。発信する選手はいっぱいいるので、そういう選手たちをうまく包み込んで、チームがいい方向に向かうようにしていくことが自分の役割だと思っています。もちろん、結果を残すことでしか評価されない世界ですし、試合に出るために、いつチャンスが来てもいいように、しっかり準備したいです。
これまでキヨ(清武弘嗣)がキャプテンをやってきた背中を僕も見てきました。大変な時期もあったし、色んな選手をうまくまとめて話も聞いていました。自分も同じように出来るかと言えば、そうではないので、そこはキヨにも「助けてな」という話はしています(笑)。指名後のミーティングで選手たちに一つだけ話したのは、「優勝するチームは負けない」ということ。今までの歴史を見ても、優勝するチームは勝てない時期が少ない。連敗しないとか、勝点1でも拾うとか、「勝利と勝点にこだわりながら、1試合1試合を戦っていこう」と伝えました。それに自分の経験上、優勝するチームはめちゃくちゃ仲がいいチーム、というだけでもない。練習からバチバチやったり、「ちょっと仲、大丈夫?」みたいなチームでも、試合になればまとまって勝つチームが強い。小菊監督が目指すサッカーも浸透してきて、今季はそれを最大限に体現するシーズンにしたいです。クラブ設立30周年のシーズンですが、その半分はセレッソにいます。セレッソを大事にしたい気持ちはチームで一番だという自信もあります。チームとしても、自分自身としても、何かを勝ち取る1年にしたいです。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
ヤマ、ヤマちゃん2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
27.54 背番号のこだわり
福西崇史5 スパイクのこだわり
白6 自分のプレーの特徴
ファイト7 試合前に必ずすること
よく寝る8 遠征に必ず持っていくもの
延長コード9 オフの過ごし方
美味しいもの食べる10 ストレス解消法
甘いもの11 サッカーを始めた年齢
6歳12 サッカーを始めたきっかけ
友達に誘われて13 影響を受けた指導者
みんな違ってみんないい14 仲の良い選手/理由
タメ(為田選手)/真面目だから15 チームメートの意外な一面/内容
為田/真面目16 憧れの選手
福西崇史17 サッカーで一番大切にしていること
流れ18 今までで一番悔しかった試合
福岡に負けたプレーオフ19 将来の夢(サッカー面)
テクニシャンになる20 もしサッカー選手じゃなかったら
トレーナー21 あなたにとってサッカーとは
魂22 今季の目標(サッカー目標)
活躍23 セレッソ大阪の好きなところ
バランス24 セレッソ大阪のイメージ
いい選手を世界に25 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
雰囲気26 どんな応援をされると嬉しい?
良いディフェンスの時の拍手、歓声27 おすすめの地元飯
明石焼き28 趣味・マイブーム
服29 自分の性格を一言で!
さぼり30 生きていて1番ワクワクする瞬間
セットプレー攻撃31 生まれ変わったら何になりたい?
芸人32 座右の銘、好きな言葉
息を吸って前進しろ33 初めての給料の使い道
忘れた34 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
ダウンタウン35 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
満島ひかり36 好きな女性のタイプ
元気37 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
ショート38 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
スイカ39 好きな映画のジャンル
大逆転40 好きな音楽のジャンル
ヒップホップ41 苦手な食べ物
フルーツグミ42 この世で一番好きなもの
子ども43 この世で一番怖いもの
G44 今一番会ってみたい人
松本人志45 今一番欲しいもの
ダイヤモンド46 引退後にやってみたいこと
芸人47 誕生日にもらって嬉しかったもの
全部48 ほっとする瞬間
寝る前のYouTube49 今季の目標(プライベート)
やりたい事をやってみる50 ファン・サポーターへひと言
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