PROFILE
プロフィール
- 名前髙橋 仁胡(タカハシ ニコ)
- 生年月日2005/08/16(19歳)
- 出身地スペイン
- 身長/体重173cm / 65kg
- ポジションDF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
生まれも育ちもスペインのバルセロナ。お父さんがアルゼンチン人、お母さんが日本人で、小さい頃から夏休みには日本にも帰っていました。お母さんは関西出身なので、僕の話す日本語は関西弁(笑)。初めてボールを蹴ったのは生まれて6ヶ月ぐらい。ボールとずっと遊んでいたみたいです。ちゃんと始めたのは4歳ぐらいで、フットサル。学校の友達がフットサルをしていて、クラブに入りました。とても楽しかった。フットサルは5年ぐらい続けて、とてもいい思い出があります。色んな大会にも出場し、技術も磨いてカタルーニャ州の代表にも入った。この頃(2010年)、W杯でスペインが優勝し、最高のチームでした。こんな選手になりたいと。小さい頃から「プロサッカー選手になりたい」と言っていた。周りのみんなは「勉強しろ」と言っていたけど(笑)。
10歳からサッカーを始めました。フットサルとはピッチの大きさが違うけど、すぐ慣れました。スペインは、11歳ぐらいまでは7人制で小さいコート、12歳ぐらいから11対11になり、5人、7人、11人と少しずつ増えていった。左利きだったので、ポジションはずっと左サイド。フットサルではウィングのような位置で、7人制ではセンターバックとサイドッバック。11人制ではずっとサイドバック。サイドバックの面白いところは、ディフェンスもできるし、アタックもできること。ウィングのような高い位置にも上がれるし、色んなポジションも取れる。これからも左サイドバックでプレーして、日本代表を目指したいです。小さい頃から、負けたら泣いていました。友達と遊びでサッカーしている時も、絶対に勝ちたかった(笑)。負けたら楽しくない。どのスポーツもそうだけど、勝たないと、上には行けない。そのメンタリティーは今も同じで、ピッチでのデュエルでも負けたくない。取られたら取り返そうと思ってプレーしています。
-中学~高校-
ペーニャで1年、サン・クガで2年、コルネジャで1年プレーして、バルセロナに入りました。サッカーを始めたころは、自分がバルセロナでプレーできるとは思っていませんでした。スペインでは、バルセロナに入りたい子どもはたくさんいます。サン・クガでの2年目の最後に、ジローナからも声がかかったけど、家から遠く、通うのが大変で、まだ12歳だったから学校の宿題もせなアカンかったから、ジローナには行けませんでした。コルネジャもいいチームだったから、コルネジャに行くことにしました。そこでのプレーをバルセロナに評価してもらいました。バルセロナから話をもらったときのことは、今でもめっちゃ覚えています。お父さんとお母さんと夜ご飯を食べていたとき、コルネジャから、「バルサ、エスパニョール、ジローナが、仁胡を欲しがっている」という話が来ました。迷うことなく「バルサに行きたい」と言いました。小さい頃から応援していたから、その話を聞いたときはドキドキしました(笑)。
2019-20シーズンからバルセロナでプレーしました。カデーテBからのスタート。みんな上手くて、とてもレベルが高かったです。練習は、走りはなくて、ずっとボールを使い、ポゼッションとか、ロンドとか、小さいコートでやっていました。ボールを回して戦うスタイルは自分も好きだったし、勉強になりました。この頃は、まだプロサッカー選手になれるかは分からなかったし、ケガしてサッカーできなくなる可能性もあったし、「プロの選手になった」とは思わず、1年1年、上手くなろうと思ってやっていました。そこからカデーテA、フベニールB、フベニールAと、年代に応じてカテゴリーも上がっていきました。毎回セレクションがあって、落とされることもあるから、競争。バルサのカンテラ(ラ・マシア)で学んだことはいっぱいあります。全部と言ってもいい。ボールを大切にすること、技術を磨くこと、一人ではなく、チーム全員で戦うディシプリンも学びました。サッカー以外でも、夢を叶えるためには自分をしっかり持つことの大切さ。あと、バルサにいるからと言って特別な人間だとは思わず、人に優しくすることも教わりました。バルサのカンテラからトップチームに上がった選手はたくさんいて、コーチとかから、そういう選手たちの昔の話も聞いていました。印象に残っている試合はたくさんあるけど、バルサのユニフォームを着て戦う試合はどれも特別でした。いつ最後の試合になるか分からないから、毎試合が戦いでした。その中でも、フベニールBでの最初の試合、エスパニョールとのダービーは覚えています。僕のアシストで勝ちました。アカデミーでも、ダービーは激しくてテンションが上がった(笑)。23-24シーズンはフベニールAの選手だったけれど、シーズンが始まる前のプレシーズンでは、バルセロナBでもプレーしました。オフィシャルマッチではないけど、バルサBで試合にも出ました。そこからフベニールAに戻って大会でも活躍して、それを見たバルサBの監督が評価してくれて、バルサBの背番号も作ってくれました。とても嬉しかった。ただ、その後にケガをしてしまい、今年に入ってからは、あまり試合をしていません。ケガがなかったらバルサBに上がれていたかも知れない。でも、悲しい思い出ではなく、5シーズン、バルサでプレーできた感謝しかありません。スペインでも日本でも、僕と同じ年代でサッカーをしている選手に「バルサに入りたい?」と聞いたら、みんなが「うん」と言うと思います。その中の一人としてプレーできたことは、とても勉強になりました。友達でトップチームに上がった選手もいるけど、それも嬉しいです。バルサに入れてくれた人も、監督やコーチ、チームメート、みんなに感謝しています。バルサに入れたおかげで、勉強になったし、いい選手になれました。トップチームと一緒に練習したこともあります。バルサではあまり試合に出ていなかったけど、(ミラレム)ピャニッチ選手、それにアンス ファティ選手も上手かったです。あと、自分が好きなジョルディ アルバ選手とも一緒にプレーできました。声をかけることはできなかったけど(笑)。
-プロ以降-
サッカーも人生も、いい時も、そうではない時もあります。終わったことを考えても変わらない。「ケガがなかったらバルサBに行けた」と考えても、仕方ない。そういう(ネガティブな)ことは考えず、これからのことを考えています。将来のことは変えていける。これからまた成長すれば、先のことはどうなるか分からない。またリーガでプレーすることも目標として持っています。今はこれからどういう選手になるか、それしか考えていません。将来は日本代表でもプレーしたい。なぜかは分からないけど、小さい頃から日本のためにプレーしたい思いがありました。2022年、初めてU-19日本代表(モーリスレベロトーナメント)に(飛び級で)選ばれた時は嬉しかったです。お母さんに連絡したら、泣いて喜んでくれました(笑)。年上の選手ばかりで最初は慣れなかったけど、友達もできました。ここで(北野)颯太とも仲良くなった。そこからU-20アジアカップ、U-20ワールドカップにも出ることができました。ただ、アルゼンチンで行われた昨年のU-20W杯は悔しさしか残っていません。セネガル、コロンビア、イスラエルと3試合全部に出ることができたけど、グループステージを突破できませんでした。特に3試合目のイスラエル戦は、先制して、相手に退場者が出たにも関わらず、逆転されました。勝つか同点なら次のステージに行けたのに…。試合後はめっちゃ泣きました。1人多い状況で逆転された。サッカーではこういう試合もあるのだと、きつい勉強になりました。この大会は、父の祖国であるアルゼンチンで行われたから、家族も見に来てくれて、目の前でプレーできたことはめっちゃ嬉しかったけど、あのチームならもっと上に行けた、そういう悔しい思いがあります。また来年、U-20W杯でプレーできるチャンスもあるから、頑張ってプレーして出たいです。前のU-20W杯で学んだことを選手に伝えることもできると思う。そこから2028年のロサンゼルス五輪を目指したいです。
そのためには、セレッソ大阪で、もっといい選手にならないといけないと思っています。日本でサッカーするのは初めて。バルサで学んだことも生かしたいし、日本のサッカーのことも勉強したい。それで、もっといい選手になりたい。日本に住むのも初めて。日本でプレーすることをお母さんも喜んでくれました。ただ、お母さんはスペインで暮らしているので、生活は離れてしまう。それは少し寂しいけど、自分の夢のために、しっかり日本で頑張りたい。お母さんも、「悲しいけど、仁胡の夢のために応援するよ」と言ってくれました。この前、ドルトムント戦で初めてプレーしたけど、楽しかったです。サポーターの応援は(第24節・アルビレックス)新潟戦で見たけど、早く自分もあの場所でプレーしたいと思いました。これからセレッソ大阪で色んなプレーを見せたいし、成長したいです。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
にこ2 利き足
左足3 足のサイズ(cm)
264 背番号のこだわり
代表でもつけていたから5 スパイクのこだわり
adidas6 自分のプレーの特徴
攻撃参加7 試合前に必ずすること
特になし8 遠征に必ず持っていくもの
ヘッドフォン、AirPods9 オフの過ごし方
のんびり10 ストレス解消法
サッカー11 サッカーを始めた年齢
4歳12 サッカーを始めたきっかけ
小さい頃からボールを蹴っていた13 影響を受けた指導者
冨樫さん(代表のときの監督)14 仲の良い選手/理由
北野颯太/代表で一緒にプレーしてるから15 チームメイトの意外な一面/内容
北野颯太/可愛い16 憧れの選手
ジョルディアルバ17 サッカーで一番大切にしていること
ルーティン18 今季対戦が楽しみなチーム/理由
ガンバ大阪/ダービーだから19 今までで一番嬉しかった試合
アジアカップのジョルダン戦20 今までで一番悔しかった試合
ワールドカップのイスラエル戦21 将来の夢(サッカー面)
トップ選手になること22 もしサッカー選手じゃなかったら
想像できない23 あなたにとってサッカーとは
人生そのもの24 今季の目標(サッカー目標)
セレッソ大阪の優勝25 セレッソ大阪の好きなところ
サポーターの応援26 セレッソ大阪のイメージ
ビッククラブ27 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
ピッチが近い、応援が熱く感じる28 どんな応援をされると嬉しい?
熱い応援29 おすすめの地元飯
たんたラーメン30 趣味・マイブーム
サーフィン31 自分の性格を一言で!
明るい32 自分の一風変わったくせ
特にないと思う33 生きていて1番ワクワクする瞬間
勝つ時34 生まれ変わったら何になりたい?
サッカー選手35 座右の銘、好きな言葉
特になし36 初めての給料の使い道
貯金37 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
ベリーグッドマン、backnumber38 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
あいみょん39 好きな女性のタイプ
特になし40 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
特になし41 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
ブルーロックとハイキュー、FIFA42 好きな映画のジャンル
面白いもの43 好きな音楽のジャンル
ポップ44 苦手な食べ物
ブロッコリー45 この世で一番好きなもの
肉46 この世で一番怖いもの
クモ47 今一番会ってみたい人
-48 最近嬉しかったこと
スペインの友達といる時間49 引退後にやってみたいこと
世界に旅に出ること50 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
サッカー51 誕生日にもらって嬉しかったもの
もらったものは全て嬉しい52 ほっとする瞬間
本を読むこと53 いつもつけている香水(銘柄等)
16種くらいあります54 今季の目標(プライベート)
日本語が上手くなること55 ファン・サポーターへひと言
頑張ります!