PROFILE
プロフィール
- 名前奥田 勇斗(オクダ ハヤト)
- 生年月日2001/04/20(23歳)
- 出身地大阪府
- 身長/体重174cm / 71kg
- ポジションDF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
サッカーを始めたきっかけは、父がサッカーをしていて、その影響です。ボールを蹴り始めたのは2歳です。小さい頃の動画を見返すと、「この時、2歳やで」って(笑)。父は高校、大学とサッカーをしていて、今は街クラブで小学生のコーチもしています。今でも一緒にボールを蹴っています。河内長野市出身なんですが、幼稚園の年中から長野キッズというチームに入り、小1から小6までは長野FCでプレーしました。小3で小5、小4で小6に交じって試合に出させてもらっていました。この時期はいわゆる団子サッカーで、ポジションは特になかったのですが、今と違ってFWでした。ドリブラーで、点を取るのが楽しかったですね。6年間で一番印象に残っているのは、小6で出場したひまわりカップです。大きな大会で、決勝では前半は0-2で負けていたのですが、後半に自分が3点を取って逆転して、最優秀選手に選ばれました。新聞にも載ったことを覚えています(笑)。クラブ史上、初めて優勝しました。長野FCの活動は土日だけだったので、平日は別のスクールにも通っていました。そこで技術を身に付けました。他に興味を持つこともなく、小学校時代からサッカー漬けでしたね。
-中学~大学-
中学からガンバ大阪のジュニアユースに入ります。きっかけは、小5で大阪府トレに選ばれたんですけど、当時のメンバーで上手い選手たちが「ガンバに行く」と聞いて、このメンバーと一緒にサッカーしたいと思い、ガンバのセレクションを受けました。この府トレには(西尾)隆矢もいました。セレッソのセレクションも受けて、両方1次は受かったのですが、ガンバから一足早く練習参加の誘いが来て、その時点で合格をもらい、加入を決めました。そのメンバーっていうのが、食野壮磨、川﨑修平、塚元大らで、強烈でした(笑)。中学時代の3年間はキツかったですね。小学校のチームで1番、2番にサッカーが上手い子たちが集まり、1年生は24人いたのですが、上手い選手ばかり。特に攻撃の層は厚く、試合に出られませんでした。一番苦しかったのは中2です。ガンバのジュニアユースにはサイドハーフで入ったんですけど、中2ではBチームでボランチをやっていました。どうすれば上でプレーできるのか、考えて、もがいていた時期です。中3になって、ある日、練習で鴨川(幸司)監督から「サイドバックをやってみて」と言われました。やってみたら意外とできた。そこから練習試合でもサイドバックで使われて、本格的にサイドバックを始めることになりました。ここが大きな分岐点でした。自分はその時、攻撃のポジションでは試合に出ることができなかったので、試合に出られるならポジションにこだわっている余裕はなかった。ガンバがつなぐサッカーで、自分も技術を学んでいたので、それをサイドバックでも生かそうと思ってプレーしました。攻撃に関しては最初から自由にやれたのですが、守備は難しくて学ぶことが多かったです。このあたりから、下半身がゴツくなりました(笑)。サイドバックは使う筋肉が違う。行って、止まって、また行って。そういう動きを繰り返す内に、ブレーキ筋が鍛えられました。
高校はガンバユースに昇格しました。僕たちの代は24人中10人が上がりました。僕はパスサッカーが好きで、高校の部活よりガンバのユースでプレーしたかったので、嬉しかったです。中3の頃、サイドバックにコンバートされて少し経った夏に、ブラジルで試合をするJリーグ選抜に右サイドバックとして選ばれました。このチームには、同学年の半田陸や西川潤、斉藤光毅、山本理仁がいました。半田選手は、当時はセンターバックで、一緒にDFラインを組みました。年代別の代表はこの遠征が初めてで、周りのレベルの高さにビックリしたのと、強度や寄せのスピードなど感じることも多く、貴重な経験でした。やっていて楽しかったです。この選抜で自信も付き、そのおかげでユースに上がることができたのだと思います。ユースでは、高1ではプレミアリーグに出ることはできなかったのですが、2年になって出始めました。中3でサイドバックに転向して以降、高校時代もボールの持ち方やトラップの仕方、パスの強弱やキックの質はかなり研究しました。なぜうまくいかなかったのか、どうしたらもっとうまくできたのか。そこは常に自問自答しながら練習していました。今でも試合の中で、こうしてみよう、ああしてみよう、ということは常に考えながらプレーしています。3年に上がって、自分たちの代では負ける気はしなかったです。プロを目指していた選手ばかりだったので、負けず嫌いで意識の高い集団でした。練習も楽しかったです。途中から2種登録もしてもらい、U-23としてJ3にも8試合出ました。サポーターの前でプレーするプレッシャーや空気感を経験できたことは大きかったです。プロサッカー選手になりたい思いは、ガンバのジュニアユースに入った頃からというより、サッカーを始めた小学生の頃から持っていました。J3にも出て、「(トップチームに)上がれるかな」と思っていたので、しばらく経って「(トップチームへの)昇格はない」と言われた時はショックでした。
大学は全く考えていなかったので、気持ちをすぐに切り替えることは難しかったです。落ち込んだ時期もあったのですが、「大卒からプロになる選手も少なくない」と聞いて、「もう一度、頑張ろう」と思いました。トップに昇格できなかった部分を自分なりに分析して、「走力が足りなかったな」とか。そこを補える大学を選ぼうと思って、オファーをもらった桃山学院大学に進みました。当時の桃山学院大学は毎熊(晟矢)くんの代で強かったです。学年的にはちょうど入れ替わりだったのですが、一緒にプレーしていた先輩から、毎熊くんの話は聞いていました。一緒にプレーできずに残念だったのですが、まさかプロで同じチームになり、同じポジションを争うとは思ってもいませんでした(笑)。ライバルと呼んでいいのか分かりませんが、目標というか、追い越すべき選手だと思っています。自分の特長と毎熊くんの特長は違いますが、ポジショニングやアイディアは勉強になりますし、守備の強度も高い。毎熊くんはドリブルで駆け上がってアシストするだけではなく、シュートの技術もある。戻るところもしっかり戻れるし、ハードワークできる。学ぶことはたくさんあります。アジアカップでのプレーも見ていましたが、より間近で見て、色々、盗みたいと思います。そこで分からなかったら聞いてみたいです。大学時代に話を戻すと、この4年間は走りが多くて大変でした。ただ、自分に足りないモノを身に付けたかったので、それは良かったのですが、周りとの考えやサッカーに対する意識の差など、メンタル的な方がキツかったです。ユース時代は全員がプロを目指していた集団でしたが、大学は、就職のために入った選手、楽しくサッカーをやりたい選手、本気でプロを目指している選手、色んな選手が混じっているのが特徴だったので、「やれよ」と強く言えない難しさがありました。部員も120人ぐらいいて、カテゴリーも7つまでありました。基本的には1年目からトップチームでプレーさせてもらい、トップチームは自分と同じ熱量を持った選手ばかりだったので困ることはなかったのですが、合同で練習した時は、メンタルのコントロールが難しかったです。その中でも、自分は入った当初からブレなかったです。課題を見つけて克服する毎日でした。今までは自分と同じか自分より上手い選手ばかりの中でやっていたのですが、大学はそういう環境ではなかったですが、その中でも自分の技術を伸ばすことを考えてやっていました。入部した2020年にコロナが流行り、変な感じのスタートにはなったのですが、試合には最初から出れました。今、振り返ると、大学に行ったことは良かったです。高校3年次の自分のプレーを見ると、「これでは(プロは)無理だな」と思えます。
-プロ以降-
プロ入りにあたり、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸からオファーをいただきました。セレッソには練習参加もしていないのに、オファーをもらいました。(古巣の)ガンバからは声がかからず。中高6年間お世話になった恩もあるので、そこを目指して大学ではやっていたつもりでしたが、オファーは来なかった(苦笑)。逆にセレッソと神戸からオファーが来て、めっちゃ嬉しかったですが、驚きもありました(笑)。セレッソの練習に参加した時の雰囲気や内容が良かったのと、サッカーのスタイルも含めて伸び伸びできたので、セレッソに決めました。大学4年の4月に内定をもらい、5月にはルヴァンカップでデビューさせてもらいました。プロを相手に試合をして、自信が付きました。その後、U-22の代表にも呼んでいただき、欧州遠征にも行きました。ここでも「やれるな」と思えました。同世代なので遠慮もなく、気持ちとしても楽にプレーできました。9月にはアジア大会に臨むU-22日本代表メンバーに選んでいただきプレーした経験も大きかったです。大学4年はプロとして戦う準備ができた1年でしたが、大学や関西選抜、全日本、U-22代表、セレッソなど色んな環境でプレーして、サッカーのスタイルやレベルも違ったので、心身ともにしんどい1年でもありました(苦笑)。今年からプロとしてのキャリアがスタートします。1年目から結果を残したいです。少しでも試合に出て、ゲームスピードなど、一刻も早くプロの世界に慣れていきたい。その中で自分の良さも出して、チームの勝利に貢献したいです。大阪ダービーですか?もちろん、絶対に勝ちたいです。試合に出ることができたら、点を取って見返したいですね。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
はやと2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
26.54 背番号のこだわり
大学の先輩でもある毎熊くんの番号を引き継ぐとともに、追い越すという自分への暗示を込めて5 スパイクのこだわり
横幅が広くて丸ポイント6 自分のプレーの特徴
積極的な攻撃参加とビルドアップ7 試合前に必ずすること
好きな音楽を聴いて気持ちを落ち着かせる8 遠征に必ず持っていくもの
化粧用品9 オフの過ごし方
ゴルフ10 ストレス解消法
音楽を聴いたり、温泉に入りにいく11 サッカーを始めた年齢(例:10歳)
2歳12 サッカーを始めたきっかけ
父がサッカーをしていたから13 影響を受けた指導者
小学生の時のスクールの岡本コーチ14 仲の良い選手/理由
西尾選手/同期でとても接しやすく、いろいろ助けてもらってる15 チームメートの意外な一面/内容
平野佑一選手/見た目はすごくワイルドで、怖そうなイメージでしたが、とても優しく、一発ギャグやおふざけがすごい選手だったのでびっくりした16 憧れの選手
毎熊くん17 サッカーで一番大切にしていること
体のケア18 今季対戦が楽しみなチーム/理由
湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ/高校時代に一緒にプレーした同期と対戦できるため19 今までで一番嬉しかった試合
PSG戦20 今までで一番悔しかった試合
アジア大会の決勝21 将来の夢(サッカー面)
日本代表に選ばれること22 もしサッカー選手じゃなかったら
総合格闘技23 あなたにとってサッカーとは
すべて24 今季の目標(サッカー目標)
チームとしてはリーグ優勝、個人としては試合に絡んで結果を出すこと25 セレッソ大阪の好きなところ
雰囲気が良くて、居心地がいいところ26 セレッソ大阪のイメージ
ピンク・チャラい27 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
観客との距離が近いこと28 どんな応援をされると嬉しい?
どんな応援でも嬉しい29 趣味・マイブーム
ゴルフ・KPOP30 自分の性格を一言で!
真面目31 生きていて1番ワクワクする瞬間
毎日の料理32 生まれ変わったら何になりたい?
鳥33 座右の銘、好きな言葉
神に誓うな、己に誓え34 初めての給料の使い道
家族にご飯をご馳走35 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
チョコレートプラネット・なかやまきんに君36 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
加藤ミリヤ37 好きな女性のタイプ
綺麗系38 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
ロング39 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
キングダム・ハイキュー40 好きな映画のジャンル
アクション系41 好きな音楽のジャンル
K-pop42 苦手な食べ物
貝類43 この世で一番好きなもの
いちご44 この世で一番怖いもの
死45 今一番会ってみたい人
吉岡里帆46 今一番欲しいもの
私服・ゴルフセット47 最近嬉しかったこと
プロになれたこと48 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
スポーツ全般49 誕生日にもらって嬉しかったもの
写真集50 ほっとする瞬間
赤ちゃんを見る51 いつもつけている香水(銘柄等)
ロジェガレ52 今季の目標(プライベート)
ゴルフが上手くなる53 ファン・サポーターへひと言
リーグ優勝するために、そして一つでも多く勝利をしてサポーターとともに喜びを分かち合えるように全力でプレーするので熱い願い応援よろしくお願いします!